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さいたま市の貝塚 国史跡「真福寺貝塚」現場見学会に行く

こんにちは。「みそかつ」です。

先日、駅からおSANPOスタンプラリーで、教科書に出てくる大森貝塚の石碑を見に行きました。

ふと、さいたま市の市報11月号を見ていましたら、タイムリーなことに、貝塚発掘の現場見学会が紹介されていました。その発掘現場見学会行ってきましたので、レポートします。

真福寺貝塚は、さいたま市岩槻区(旧岩槻市)にあります。

見学会は午前と午後の部があり、私は午後2時に着きました。思ったより大勢来場しており、整理番号は152番でした。152名は来場しているってことですね。コロナ対策で人数制限をしており、しばらく待たされました。草むらを見ますと、白化した貝殻が散乱しています。

貝塚のそばにある民家の軒下を見ると、

貝殻が無数に落ちています。

貝が多いので、ここの民家の住民が庭に貝殻を捨てたのではないかと疑いたくなりますが、普通、自分の家の庭に貝殻なんて捨てませんよね。たいていゴミ出しに出すはずなので、これらは貝塚の貝だと思います。古代縄文人のゴミです。

やっと発掘現場に案内されますと、トレンチが掘ってあります。トレンチとは発掘のために掘った穴です。

みんなで観察します。見てみますが、素人には全く分かりません。さいたま市の学芸員が現れて、説明してくれます。これは縄文式住宅の柱跡、土の色が赤く変色しているところは竈であった、貝は、シジミ、アサリ、カキが見つかった・・・など。

そもそも、真福寺貝塚は、大正時代から発掘されているそうです。東京大学やいろいろな方が発掘しているものの、古い時代の発掘調査の資料は太平洋戦争などで焼失していて、よくわからないそうです。そこで、5年前にさいたま市が発掘してみたところ、意外と埋蔵物があることが分かり、毎年少しずつ研究を進めているとのこと。

この真福寺貝塚には、縄文時代の、今から約3800年前から2300年前に縄文人が住んでいたとのことです。その約1500年分の貝塚、すなわち、1500年分の縄文人の食事のごみがここに捨てられ続けていたということです。1500年間って、すごい量ですよね。

上の写真には、縄文人が捨てた、シカの骨があります。

左が鹿のあご、鹿の身体の骨とのことです。

掘っているときに、土偶が出たとのことで展示されていました。発掘当時は赤色だったが、空気に触れて赤色が消えてしまったとのことでした。ミミズク土偶というらしいです。

みそかつ
みそかつ
なぜミミズクというんですか
学芸員1
学芸員1
ヒトなんだが、鳥のミミズクに似ているから
みそかつ
みそかつ
これを何に使っていたのですか?女の子のおもちゃの人形ですか?
学芸員1
学芸員1
祭事に使われていたと推測しています。

壁面に、器の破片が刺さっています。縄文式土器の破片が無数に出てくる層があったとのことです。

みそかつ
みそかつ
なぜこんなにたくさん土器が出てくるのですか?縄文人が要らなくなった土器で谷を埋め立てでもしたのですか?
学芸員2
学芸員2
そうなんですかねぇ~・・・

要は、「誰も分からない」ということです。

よく考えますと、歴史って、ちょっと前の時代のこともよくわからないのに、2000年以上も前の、縄文時代のことが分かるわけないですよね。発掘しながら、発掘物や地層などから、分からないことをいろいろ推測していくことが考古学の楽しみだと思いました。

この真福寺貝塚はいろいろ不可思議なことがあります。東京の大森貝塚は海辺が近いので貝が獲れやすいから貝殻が捨てられたのはわかりますが、縄文時代は今より温暖で、海岸線がもっと内陸部の埼玉まで来ていたことは事実ですが、真福寺貝塚から約20km離れた草加あたりに海岸線があって、真福寺貝塚のそばには海岸線がなかったというのです。学芸員は、水路はあったので、水運で海産物を運んだだろう、海産物は加工して持ってきたと推測するとのことでした。しかし、しじみ、あさり、ましてやカキを貝殻に入った状態でどのような加工をして20kmも運搬して持ってきたのか、カキなんて冷蔵庫もない時代に運べば腐ってしまうし、食中毒も起こしてしまうわけで、そのようなリスクを負って、なぜ海岸線から遠いこの地に集落があったのか、謎です。

来年も地下水が浸かる土中を掘って発掘するとのことでした。研究をこれからも進めていってほしいと思いました。

また来年に現地見学会が開催されるのを楽しみにしています。